『劣等感』
この言葉は一般的に見ると、あまり好ましくないイメージがありますね。
しかし、アドラーは『劣等感』を「健康で正常な努力と成長の刺激」であって、「すべての人は劣等感を持ち、成功と優越性を追求する」と言っています。
今回は、この劣等感はどのようなものか、また劣等感を味方につけて生きていくにはどうのようにすれば良いのかについて書いています。
アドラー心理学では、劣等感について、他者との比較だけでなく、こうありたいと思う目標と現実の自分とのギャップに直面した時に抱く陰性感情(惨めさ、悔しさ、腹立たしさ、羨ましさ、焦り、不安、落胆、怒りなど)を含めて劣等感と言っています。
ここで劣等感について理解を深めるため、劣等についての定義を説明します。
さて、劣等性と劣等感が別れていますがこの違いとはどのようなことでしょう?
一言で言えば、
「劣等性は、身体的・心理的な客観事実」
「劣等感は、劣等だと感じる主観的な意見」
ということです。
劣等コンプレックスについて「異常な劣等感」で「劣等感の過度な状態に他ならない」とアドラーは言っています。
仕事、校友、愛の課題を避けるための口実として自分の劣等性、劣等感をひけらかす勇気のない態度と行動が劣等コンプレックスです。
さらに、劣等の反対、優等をひけらかす態度の場合はどうでしょうか。
こちらは「優等コンプレックス」と言われ、実は、ルーツとなるのは「劣等コンプレックス」と同じく勇気が欠如していることの表れであると言っています。
アドラー心理学は「人間のあらゆる行動は、相手役が存在する対人関係である」という「対人関係論」に基づいています。
この「相手役」の存在があるために、その人の行動によって自分が影響を受け、特定の感情を抱き、何らかの応答をすることになります。
さらに言えば、相手役は必ずしも他者ではなく、自分自身の時もあります。
自分自身が相手役とはどのようなことでしょうか?
自分の頭の中にもう一人の自分がいて、その一方の自分と常に対話しながら物事を考えることを自己対話(セルフトーク)と言います。
自分自身を否定されたり、思い通りにいかないといった困難な状況に陥った時に「負けたくない」「努力が足りない」「悔しい」と感じ、それを支えるように対応して「こんな自分じゃいけない」というように自己対話をする時、自分を相手役としているのです。
このように、対人関係の中で他者との比較の中で劣等感が生まれてくるのです。
それでは、良い人間関係を築くにはどのようにしたら良いでしょうか。
ここに4つのガイドラインを紹介します。
人それぞれに年齢・性別・職業・役割・趣味などの違いはありますが、人間の尊厳に対しては違いがないことを受け入れて、礼節を持って接すること
距離を置いて見つめ、冷静な態度で接すること
常に相手の行動の背後にある善意を見つけようとし、根拠を求めず無条件に信じること
相手の属性や行動がどうであっても、無条件に信じること。
信頼すると決めたら、時にその人の行為によって落胆することがあっても、その人の人格を認め続けること
決意も、時には忍耐も必要
目標に向けて仲間と合意ができたら、共に問題解決の努力をすること
相手の関心、考え方、感情や置かれている状況などに関心を持つこと
アドラー心理学では、共同体感覚が大事だと言っています。
つまり心と心の繋がりが重要なのです。
アドラーは感情を2つに区分しています。
1の感情の筆頭を「怒り」、2の感情の筆頭を「喜び」としてます。
私たちの「感情」は思考や行動と同じぐらい重要です。
この感情はコントロールが可能なのでしょうか?
この感情に対する考え方には2つの立場があります。
感情が何かの原因で起こり、感情が私たちを動かしている。
私たちが感情を使って何かの行動をしようとしている。
アドラー心理学では、後者の「私たちが感情を支配する」の立場に立っています。
感情には、感情を向ける相手役がいて、その目的もあると考えます。
そして、感情はこのようにまとめられます。
感情は自分のパートナーです。そして感情の中で厄介な劣等感さえもパートナーです。
この劣等感を味方につけるにはどうしたら良いでしょうか?
アドラーは「重要なことは、人が何を持っているかではなく、与えられたものをどう使うか」だと言っています。
つまり、劣等感そのものが問題ではなく、劣等感をどのように使うかが重要です。
劣等感を非建設的(破壊的になる場合もある)な対応としてありがちなものは次のようなものがあります。
例えばこのような場合がありますね。
このように劣等感を非建設的に使ってしまうと、良い人間関係を築くことはできませんし、自分の人生をより良い方向に進めていくことはできません。
劣等感をどのようにして味方につけるかについて書いてきました。
もう一度、劣等感についてまとめてみると、このようなことが言えると思います。
成長を求める人であれば、「健康で正常な努力と成長の刺激」である劣等感を抱き続けるでしょう。これは目標を持っていたことの証であり、よりよく生きようとしていたことを物語っています。
自分自身が今日あるのを振り返ってみれば「劣等感のお陰様」と言ってよい部分がかなりあるはずです。
劣等感は自分自身に敵対するどころか、かけがえのない友で、ある時期に起こった出来事に対して、この劣等感があったからこそ、悔しくなったり、羨ましくなったり、腹を立てたりして、自分自身を高める原動力になってくれているはずです。
いかがでしたでしょうか。
アドラー心理学では、「人間は、過去や環境の出来事の犠牲者ではなく自ら運命を創造する」と言っています。
劣等感を味方につけて、自分の目的に進むための原動力としていけば、自分を進化させていけることでしょう。
おそらくこれまでも、劣等感を味方につけながら現在の自分自身を築きあげてきたはずです。
全てが「劣等感のお陰様」なのです。「劣等感」を感謝の気持ちで抱擁してあげることが、私たちには必要なのかもしれません。
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